自分だけが不幸で、自分だけが幸せ

はい、こんにちは

幸、不幸ってなんでしょうか・・・
 

飢えの辛さから逃れる方法を見つけた事により、余裕が生れ、余裕からは欲が生れ、欲からは不満が生まれ、不満は不幸となる。

一つの苦痛や辛さから逃れる事を見つけた事により、他の苦痛や辛さからも逃れる方法を探すと言う欲が生まれ、苦痛が少なくなると快楽を求める欲がうまれる。
そして、その欲が満たされないと苦痛が生れ、人は、それを『不幸』と名付けたんです。

さて苦痛ってなんでしょうか?繁殖するために生き死から逃れる為の機能、それが苦痛です。死に近づく事を嫌だと感じるように作られています。

怪我は痛い。怪我をすることは死を招きます、痛い嫌な事であれば怪我を避け、例え怪我をしても無理をせずに治癒を待ちます。
腹が減るのも同じ事です。空腹も苦痛ですよね?そのままにすれば死ぬからです。恐怖心も嫌ですね?それも死を避ける為の機能。

世界には、痛みを感じない難病も存在しています。
痛みを感じないとどうなるのでしょうか?

 

私の知人で、その難病の方がいます。
その方は、全身ではありませんが身体の末端から、徐々に痛みを感じ無くなっています。

例えば怪我をしても、一切気が付きません。その為、大怪我をした場合にも気づかずに大量出血により命を落とす危険性があります。
小さな怪我であっても、気が付かず壊死するこ事もあります。痛みが無いと言うのは、即命に関わります。

治療方法は無く、対処方法しかありません。

痛くないので怪我を自分で防ぐ事もできません、痛みのない部分を手術により切り落とし怪我する部分をなくすしか無いのです。

私の知人は、両手の指が半分の長さしかありません指先から痛みを感じない部分が切り落とされています、片足は足首付近から先、もう片方はスネの上辺りから先が切り落とされています。
検査し、更に痛みを感じない部分が増えれば更に切り落とされます。

因みに、その知人は気丈な方で、結婚し子供もいます。車(福祉改造)にも乗りますし、今は田舎暮らしで働きながらも畑仕事をしたりしています。
畑仕事をすると義足がすぐに折れるので困るって事も言っていました。

苦痛を感じない事が大きな苦痛を呼んでしまっているのですが、それでも普通に生活出来ている事は、非常に幸せで、同じ病気の方も希望を持って欲しいと言っていました。

人は欲ばかりだと逆に不幸だと思えてしまいます。

人と比べて裕福かどうかとか、そんな事だけで幸福感は決まりません。
欲が満たされれれば、更に欲が生れ、満たされなければストレスが生まれるんです。

私が思うのは、『幸福とは妥協』です。変な意味ではなく、しっかりと考える事が大事です。

大きくて映像がキレないテレビが欲しいな・・・何の意味がありますか?
テレビ自体が嗜好品ですが、そこは置いといて極端に小さく無ければ機能に問題は無いですよね?

臨場感のある5.1chスピーカーが欲しいな・・・何の意味がありますか?
まず臨場感が必要ですか?音が聞こえれば機能を満たしていますよね?

大きくて広い家が欲しいなぁ・・・何の意味がありますか?
雨風が凌げて、空調が整っていて、必要最低限の物があり寝る場所もあれば十分過ぎますよね?

これは全て贅沢と言われる事ですが、私からすると贅沢過ぎるんです。
住むところがあり、食べるものがあり、風呂に入れて、快適に眠れる。

これだけで本当は贅沢過ぎなんです。

自然の流れで満たされずに感じる苦痛(空腹等)は死を防ぐ為、でも贅沢な欲が満たされずに感じる苦痛はストレスで意味はありません。

ストレスを感じた時には『自分は贅沢過ぎる欲を持っている』事を認識して、今でも贅沢なんだから、これで良いじゃないかと妥協してみるんですよ。
そうすると、『あれ?自分って恵まれてる?』『あれ?十分幸せなのかな?』って色々と気づけると思います。

自分を不幸にするのも、幸せにするのも自分の考え方しだい、しっかりと見つめ考えてみては如何でしょうか?

ではでは、また

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