第一章:魂は記憶である|魂・霊・神と土地に宿る記憶エネルギー

語り手:占い師 亀鏡(希道師)

お久しぶりです。

亀鏡です。

長くブログをお休みしていましたが再開しようと思います。

再開する理由ですが、AIのお陰で私の持論や色々な考え方をまとめる事が出来るようになった為です。

まず第一弾として私の持論をまとめて見ました。

反論等ある方々も居ると思いますが、単なる私の持論ですのでスルーして頂けると嬉しいです。

では、本題へと進みたいと思います。


私たちは何者で、どこから来て、どこへ向かうのか。
その問いに対する、私・亀鏡の答えはこうだ。

魂とは、記憶である。

肉体が滅んだあとに残るもの。
それは霊と呼ばれる“存在の影”であり、想いの結晶であり、過去の波動の名残である。
けれどそれは曖昧なものではない。

魂は情報である。
そして情報とは、記憶である。

  • 脳に蓄えられた記憶
  • 身体に染みついた習慣
  • 他者の中に残された言葉や仕草

これらすべてが“魂の構成要素”だ。

記憶は水に宿る

水はすべてを写し、すべてを記憶する。
目には見えぬが、波動は水の構造に刻まれる。
怒り、喜び、祈り、愛情。
これらの感情エネルギーは、水の分子構造に“形”を与える。

魂(=記憶)は、水の中に、そして水を含むすべての物体の中に宿る。

肉体が死を迎え、水分が蒸発し、
体内の電気信号が途絶えたとき、
魂は凝縮を解かれ、世界に“霧散”する。

死は終わりではなく、個としての終わり情報の再分配である

魂は霧散し、空気に、風に、地に、他者の記憶に拡がる。
香りのように、余韻のように、波紋のように。

そして、それらは土地に刻まれる。

天照大神の魂は、本州に宿る

日本列島の本州という大地には、太陽神・天照大神の魂が宿る。

それは、単なる神話ではない。
本州全体が、天照大神の記憶媒体であり、
そこに存在する神社は、神の記憶を読み出す“装置”なのだ。

沖縄や北海道が異なる波動を持つのは、
そこに刻まれた神々の記憶が違うからである。

  • 土地は記憶を刻み
  • 水は記憶を運び
  • 人は記憶を感じる
  • 神や霊は、エネルギー的に現実に息づいている

我々は「魂の容れ物」ではなく、「記憶の担い手」である

スピリチュアルな観点から見ても、
科学的な観点から見ても、
記憶とエネルギーの関係性は無視できない真理であり、
それが死後の魂の行方、神社の役割、土地と神話の結びつきを紐解く鍵になる。

そう考えるとき、
生も死も、神も霊も、
すべてが辻褄を合わせて、一本の道として繋がる。

それが、希道である。

次章へ続く。

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