仏教で言う『空』
これに関しては仏教を勉強している人でさえも捉える事が難しいんです。
そう『空』こそが『空』・・・余計に難しいですね。
ここからは私が思う『空』(師匠の言葉も含む)です。
分かりやすく言いますね。
空の桶が置いてあります。
コレだけでは単純に何の意味もない物体です。(この物体と言うのも・・・そもそも・・・)
ここに水を入れる事で水を入れる容器となります。
それを運んだり、かぶったり、様々な使い方をする事で桶となるんです。
例えば原始人にライターを見せても、何か分かりません。
比較するモノ、定めるモノなど様々な要因が重なり、そのモノに意味や本質が生まれる。
その要因が何ければ、そのモノ自体に意味や本質は存在しない・・・それが『空』です。
因果とも絡みます。
原因があって結果が生まれる。
色々な要素(原因)によって、意味や本質(結果)が生まれる。
人も、人以外の種類の生物が居なければ、人として認識できませんよね?
他の動物、植物、その他の物質が存在するから、それと違うっている人が認識出来るんです。
先程の物体と言うのも、気体、液体が存在するので物体(固体)として認識します。
人は色々な要因(比較対象)が存在する事で、結果(考えや答え)を生み出します。
ある意味では、空 = 思念世界(概念の存在しないエネルギー世界)とも言えるかも知れませんね。
私のブログには、この概念が多々出ます。
私の言葉を理解したいと思う方は、何度も読み返して見て下さい。