はい、おはようございます。
って、おい!
タイトル詐欺、ちょっと盛りすぎやん(笑)
人って、嬉しい、楽しい、幸せとかプラスの感覚って、それ単体ではありえないんですよね。
仏教の「空」と同じ様な事なのかも知れないです。
全てのモノ、コトにおいて、単体では何の意味も持たない。
比較するものや対象となるモノがあるから意味が生まれる。
そして原因があり結果がある「因果」・・・
あぁ・・・話が逸れた(笑)詳しくは調べてね。
逆に痛い、苦しい、辛いってのは自分の感覚として存在してますよね。
その負から開放され何もない状態が嬉しいですよね。
そして、何もない状態と言うのが、次は暇と言う苦痛になり、その暇を解消できる状態になると楽しいんです。
でね、その楽しいも飽きるんですよ。
ここまで読んで、
「え?それって別の楽しい事とか、嬉しいことがあるから苦痛を感じるんじゃないの?」
って思った方もいると思いますが・・・
もし、そうなら人は何も新しい物を生み出さない。
今の世界の衣食住、これも同じです。
寒さ、飢え、危険と言う苦痛から逃れる方法を考え生み出した結果では無いでしょうか?
スポーツ、娯楽、嗜好品(酒、タバコ)
これって元々存在した物ではなくて、暇だから楽しみを生み出したと思いませんか?
更には、当たり前である事すらも苦痛として捉え、楽をする方向へと進んでいる。
当たり前が苦へと変わり新たな楽を生み出し、当たり前を作るが、またその当たり前の負を見つけ苦へと変え新しい楽を生み出そうとする。
人は、これを繰り返していませんか?
「もうそれは古いよ」
って、よく聞く言葉が、証明している気がします。
そう考えると人にとって自然と増えているのは負であり、悪い事と捉える事も出来るんです。
って、ちょっと偏った考え方ですが、捉え方により正しいとも言えるんですよね。
じゃぁ、どうすれば良いの?と言うより、それを伝えて何が言いたいの?
って疑問が出てると嬉しいな(笑)
簡単に言うと、自分が幸せかどうかって言うのも比較して考えてしまっているんですよね。
あの人と比べて身長が低いとか
あの人と比べてモテないとか
あの人と比べて収入が少ないとか
だって自分だけで考えたら、身長が高いか低いか、モテるかモテないか、収入の大小なんて、分からないし関係ないでしょ?
比べなくても買える物の差で収入の大小がわかる?
それも比較してるから買うんでしょ?
これは便利、でもこっちの方が便利・・・
今の状態と比較して、悪い部分を良くしたいと思う比較してるよね。
それをふまえて思ったのが・・・
本当の意味で幸せを掴める人って、基準が自分にある人なのかも知れない。
他人を基準とすると、今、本当は幸せでも、自分より幸せに見える人が羨ましくなり、そこを目指す、その為に今では不十分にする必要があり苦や負を生み出し、それを繰り返す・・・だから常に苦や負が付きまとう。
自分が基準なら、比較しないから、今の幸せは幸せであり、大満足なんで苦や負を生み出さない。
友達からは、ブサイクだとか、もっと見た目の良い人探せとか、色々言われるけど、自分が大好きなパートナーと一緒に居ることが幸せ。
他人からは、そんな大変で収入の少ない仕事と言われるけど、大好きな仕事を出来ている事が幸せ。
自分に何の特も無いのに何で無料で占ってるのって言われるけれど、人が喜んでくれて、その人が幸せになってくれると嬉しくて幸せ。
って事なんじゃないでしょうか?
伝わったかな?
ではでは、また
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