楽を選べば楽しいが離れていく、字が同じなのに何故だろう?

はい、こんにちは

 

私の身近に、この時代に置いては珍しいレベルの貧しい家庭で育ち、その為に自分の望む事は叶わないと思っていた人がいます。

人と言うか人達です。

 

その人達は3姉妹で、子供の頃から貧困家庭で育ち、その中でも長女は、そこから抜け出したくて目標を持ち自立した。

 

残り2人については、一時は希望を持ち目標を持って進んだモノの色々な柵と、環境と、言うオブラートに包んだ”言い訳で”挫折。

さらに鬱と言う隠れ蓑の中で、様々な言い訳をして30代まで、母親一人の収入に頼った生活を行っていた。

母親1人の収入で3人の大人が、各々携帯を持ち、好き勝手にエアコンを使い、タバコを吸い、ジュースを飲むみ、昼夜逆転の生活。

 

楽しみはタバコと好きなジュースだけ、アルバイトで数時間働いただけで自分は働いているから疲れていると言う。

そしてアルバイトも長続きはしない。

 

例えるなら

 

自分は寝ころんで、

立ってる人は歩けて良いね、

歩ける人は移動できて良いね、

移動できる人は働けていいね

 

身体が痛いので立てない、

立つとめまいがする、

立つと怪我するかも知れない、

立っても歩く体力はない、

 

って、言い訳ばかりを並べて起き上がらない状況。

 

だからね。

“楽しい”を知って欲しくて

私は、無理やり立ち上がらせて、背中を蹴飛ばしてみた。

そしたら、景色の違いに驚いて最初は喜んで歩いた。

けれど、また寝転びたいと立ち止まろうとした。

だから、また背中を蹴飛ばした。
すると、少し歩き出した。

けれど、今度は道草して座りだした。

 

だから、また思い切り背中を蹴飛ばしてみた。

すると、素直に歩きだした。

けれど、今度は隠れて寝転ぼうとしてた。

だから、引きずり出して、もう一度蹴られたいのかと聞いた。

すると、蹴られなくてっも分かっていると言い歩き出した。

今度は、色々な脇道に興味を持ち出した。

 

だから、興味を持った方向へそっと背中を押してあげた。

すると、そこには好きな事があり、その道を自分の意思で歩き始めた。

そして、少しの上り坂を登り景色の違いを感じ、今までは考えもしなかった所へ行こうとしている。

 

今まで小さな楽しさも知らないから歩けなかった。

歩かないから大きな楽しさなんて見つからない。

小さな楽しいことを楽しいと言う事も知らない。

そして唯一選べたのが、楽。

 

同じ字なのにね・・・読み方が違えば意味が違う。

 

楽ばかりしてると辛い。

でも楽してるはずだから辛い訳が無いと思う。

そうすると理由が必要になる・・・そして鬱だから・・・

 

でも、鬱の定義って違ったと思う。

凄く勤勉で真面目な人が、もっともっとこんなんじゃ駄目って言う責任感からのストレスで、”働きたいのに”、”頑張りたいのに”出来ないって所に落ちってしまうのが鬱だと思う。

 

“動きたくない”、”働きたくない”から、楽して辛くて動けないのは鬱じゃないよ

 

楽しちゃ駄目、楽しもう
楽しむのは楽じゃないよ

 

って、なんだろうか?今日の文書、変だな

まぁ・・・良いか(笑)

 

ではでは、また

 

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